片倉真理の台湾探見

日々の取材体験や日常の出来事を綴りながら、台湾の魅力を分かち合いたいと思います。

大稲埕のヨーロピアン・バーと「月の光」。

日本人観光客にも大人気の大稲埕エリア。コロナ禍により閉業を迫られた店も少なくありません。それでも、感染者が少なければ、大勢の人たちで賑わっています。一方で、新しい店も次々と登場し、個性的な店が増えています。今回はそんなニューオープンの店の中から、お気に入りのバーを紹介したいと思います。

 

迪化街で一際目立つバロック風の装飾を施した建物。正面の壁に『屈臣氏大藥房』と記された建物は、1917年に開かれた台湾初の西洋薬局があった場所です。1996年に火災で焼失し、長らく廃墟となっていましたが、修復が進められ、現在はショップやティーサロンなどが入る複合ショップに生まれ変わっています。その中の一つが2021年にオープンしたヨーロピアン・バー『Antique Bar 1900』です。


3階に上がり、木の扉を開けると、ダークグリーンの壁と木目調のインテリアが印象的な空間が現れます。ヨーロッパの市場で手に入れたというアンティーク家具やオブジェが置かれ、1900年代初頭の華やかかりし頃のヨーロッパの風情が再現されています。迪化街の喧騒とは異なった、落ち着いた空気に包まれるはずです。

迎えてくれるのは、口髭がトレードマークのアランさん。ベルギーに長らく滞在し、欧州各地のバーを訪ね歩いた経験があると言います。「台北にはアメリカ式や日本式のバーは数多くありますが、ヨーロッパスタイルのバーはありません。ここではドリンクを提供するだけでなく、ヨーロッパの文化を広く知ってもらうため、行事や風習も紹介しています」。実際に、私が最初に訪れた日はキリスト教徒の祭日である「公現祭」に当たり、ガレット・デ・ロワをいただく儀式を初めて体験しました。



店には様々なカクテルがありますが、中でもおすすめしたいのが「アブサン」という薬草系リキュール。飲み方がユニークで、アブサンを注いだグラスに、砂糖をのせたスプーンを置きます。その後、壺から水を垂らし、砂糖を溶かして、甘さや濃さを自分で調整していきます。薄暗い光の中で水滴が輝く様子は何とも優雅な雰囲気です。

 


そして、飲み物以外にも面白いサービスがあります。それは部屋の片隅に置かれているピアノで、ドビュッシーの名曲「月の光」を弾いた方には、ドリンクを一杯サービスするというもの。

聞けば、アランさんはかつてパリに憧れていたことがあり、特に1920年頃に開設された書店「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を訪れるのが長年の夢でした。その後、ベルギーに滞在した頃に、念願叶って訪れてみたところ、ドアを開けた瞬間から「月の光」が聴こえてきたのだそうです。二階へ上がってみると、そこには誰でも自由に弾けるピアノがあり、「月の光」を弾く男性客の姿があったとのこと。


「まるで夢のような瞬間でした」と、今でもうっとりとした表情を浮かべるアランさん。この体験が脳裏に刻まれ、それ以来、「月の光」はアランさんにとって特別な曲になったそうです。そして、自分の店でも誰かに同じような体験をしてもらいたいと、上述のようなサービスを始めたとのこと。自身の体験や感動を他者と共有したいという考えが素晴らしいですよね。

 

現在、大稲埕にはこうした音楽と芸術を愛する人たちが開いた店がいくつかあります。この街はかつて交易で栄え、多様な文化が入り込み、独自の文化を発展させてきた歴史をもちます。戦後の一時期、寂れた印象もありましたが、ここにきて、再び新たな文化が流入し、往年の空気を取り戻しているかのようにも見えます。


余談ながら、失礼ながらも私は心の中で、「『月の光』を弾けるお客さんはいるのだろうか」と思っていました。しかし、後日訪れた際、美しい音色を奏でる女性客に出会いました。歴史を刻んできた洋館で聴く「月の光」。それはより一層感慨深いものがありました。日台の往来が再開したら、「我こそは!」と思う方はぜひ弾きに訪れてみてください。きっと、そこから新たな交流が生まれると思います。

Antique Bar 1900